2011/11/06 00:55:17
たかっちメモによりますと、、、
世阿弥の言葉によるもので、
三つの‘初心’があるのだ、と。
芸に初めて触れた時の未熟さの‘初心’
芸が上達していくその段階、段階毎の‘初心’
芸の極みに達しても達した時点でそれはまた‘初心’
(たかっち的なすがまま解釈)
結局…
今この瞬間が‘初心’なんです。
あの時(初めて)の気持ちを忘れない・・・ことも大事ですが、
今この瞬間が‘事’の始まりなんだ、と絶えず認識して行くこと。
常に終わりなき新たな‘初心’が芸事を極めようとする者には必要なのだ、
と猿楽師は伝えたかったのだと、
思います。
昨日、入野小篁太鼓の本番がありました。
そのメンバーの父兄様でもあり、
篁太鼓保存会のメンバーでもある方から、
発表を見られた感想を『初心に帰る一瞬』といただきました。
太鼓のセンセを初めて11年、
太鼓を打つことを‘教える’のではなく、
太鼓を打つ心を‘伝える’ことに努めてきたつもり。
毎年・・・‘初心’を感じています。
『初心、忘るべからず』
世阿弥の言葉によるもので、
三つの‘初心’があるのだ、と。
芸に初めて触れた時の未熟さの‘初心’
芸が上達していくその段階、段階毎の‘初心’
芸の極みに達しても達した時点でそれはまた‘初心’
(たかっち的なすがまま解釈)
結局…
今この瞬間が‘初心’なんです。
あの時(初めて)の気持ちを忘れない・・・ことも大事ですが、
今この瞬間が‘事’の始まりなんだ、と絶えず認識して行くこと。
常に終わりなき新たな‘初心’が芸事を極めようとする者には必要なのだ、
と猿楽師は伝えたかったのだと、
思います。
昨日、入野小篁太鼓の本番がありました。
そのメンバーの父兄様でもあり、
篁太鼓保存会のメンバーでもある方から、
発表を見られた感想を『初心に帰る一瞬』といただきました。
太鼓のセンセを初めて11年、
太鼓を打つことを‘教える’のではなく、
太鼓を打つ心を‘伝える’ことに努めてきたつもり。
毎年・・・‘初心’を感じています。
『初心、忘るべからず』
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