関東の太鼓チームの方が書かれた本を読み返してみました。
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「太鼓を打つにはテクニックが必要。でも絶対にテクニックじゃない。」
これは師匠が繰返し私たちに伝えてくれた言葉です。
人は技術的に上手い太鼓だからといって、感動するわけじゃない。
人に伝わる音というものはテクニックで出せるものじゃない。
「手が動くようになって、いろいろなことが打てるようになって、
テクニックがついてきても、いつでもまっさらな丸裸の自分で、
無心でぶつかっていかないと、伝わる音は出せないよ。」
音というのは結局のところ、その人が『生きてきた分』の音色が出る。
ひとつの曲を打つということは、自分の優しさ、気の強さ、明るさ、暗い部分、
どうしようもなく弱いところ、底力、ひょうきんさ、真剣さ・・・
あらゆる面を表現していくことです。
生きていればさまざまな経験をし、そこで色々な思いを味わって、
その分人間としての幅が広がっていきます。
太鼓を打つとき、
ただ表面的に音に強弱をつけたり、音色を使い分けるのではなく、
自分の内側に積み重ねてきた、そういう様々な面を引き出していく。
内面から変化していくと、それが音の味や彩となってきます。
その人それぞれ、その時で、打っていてふと引き出されてくる面は様々です。
だから同じことを同じように打っても、一人ひとりから生まれてくるものが違うし、
同じ人が打っても、日々生きている分打つたびに違うのです。
それが、音色の個性になるとすれば、
太鼓を打つときにどれだけ自分に正直になれるか、
丸裸になれるかなのでしょう。
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技術的に打てるようになったから・・・
と満足するのではなく、更にその上を目指そうとするならば、
その道標は自分の内面に求めるしかないのでは?
ただ、
自分が楽しく打てればいいだけの太鼓なのか、
人に何かを伝えたい太鼓なのか。