2008/05/28 16:42:41
シリーズ あしたの太鼓打ちへ その11と12
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その十一
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その十一
「使っていない部分の体に気を配る。
右手を使っている時は、左手を。
腕を使っている時は、足を。
音に集中している時は全身を。
全部のバランスが取れて、初めて、いい演奏になります。」
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2尺の桶胴を2曲続けて打っているとき、
今までめちゃくちゃ辛かった腕がふっと楽になるときがあります。
そういう時は腕以外の、身体のどこか別の場所に意識が行っています。
というと聞こえがいいのですが、
『こ、腰がいたい、、、』とか、
『汗が目に入ってしみるぅ、、、』とか・・・
(^_^;)
意識をして、使ってない場所に気を配れるようにならんと、ね。
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右手を使っている時は、左手を。
腕を使っている時は、足を。
音に集中している時は全身を。
全部のバランスが取れて、初めて、いい演奏になります。」
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2尺の桶胴を2曲続けて打っているとき、
今までめちゃくちゃ辛かった腕がふっと楽になるときがあります。
そういう時は腕以外の、身体のどこか別の場所に意識が行っています。
というと聞こえがいいのですが、
『こ、腰がいたい、、、』とか、
『汗が目に入ってしみるぅ、、、』とか・・・
(^_^;)
意識をして、使ってない場所に気を配れるようにならんと、ね。
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その十二
「皮も木も生き物です。邪険に扱わないように。
汚れてへこんだバチもゆっくり湯につけて洗えば、蘇ります。
木の不思議です。」
汚れてへこんだバチもゆっくり湯につけて洗えば、蘇ります。
木の不思議です。」
『自然はいっぱいいて、たった一人のぼくを見ている。』
何かにつき動かされて、太鼓を打ち続ける、
そのきっかけになったのは鼓動の認識。
自分にはここまで続いてきた命の営みがあり、
それが支えてくれているのではないかという認識。
小さな虫いっぴきをつぶすのは簡単だが、
巨万の富を使い、どんな才能を注ぎ込んでも、この虫いっぴきを作れない。
命が、また新たな命を生み出す連鎖も作れない。
「生命」というものが、一体何を企んでいるのか、
その正体はとうていわかりませんが、
太鼓の音はその正体の一番近いところで、我々に「命の本音」について、
語りかけているのかもしれません。
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心音、拍動のことを何故〝鼓動〟いうんかね?
やっぱり、似とるけん・・・かね?
このことについては以前、天野先生から興味深いお話をしていただきました。
またいつかお話できることもあろうかと思います。
まぁそれはさておき、、、
折れた桴がなかなか捨てられず、なんかに使えんかなぁ、、、と思い、
とりあえず彫刻刀でなんか彫ってみよっ!ってやったことあるんじゃけど、
結局なんにもならず・・・
次郎丸桴供養~~!とかって、
飲む口実にしかならんか?(^_^;)
そのきっかけになったのは鼓動の認識。
自分にはここまで続いてきた命の営みがあり、
それが支えてくれているのではないかという認識。
小さな虫いっぴきをつぶすのは簡単だが、
巨万の富を使い、どんな才能を注ぎ込んでも、この虫いっぴきを作れない。
命が、また新たな命を生み出す連鎖も作れない。
「生命」というものが、一体何を企んでいるのか、
その正体はとうていわかりませんが、
太鼓の音はその正体の一番近いところで、我々に「命の本音」について、
語りかけているのかもしれません。
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心音、拍動のことを何故〝鼓動〟いうんかね?
やっぱり、似とるけん・・・かね?
このことについては以前、天野先生から興味深いお話をしていただきました。
またいつかお話できることもあろうかと思います。
まぁそれはさておき、、、
折れた桴がなかなか捨てられず、なんかに使えんかなぁ、、、と思い、
とりあえず彫刻刀でなんか彫ってみよっ!ってやったことあるんじゃけど、
結局なんにもならず・・・
次郎丸桴供養~~!とかって、
飲む口実にしかならんか?(^_^;)
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