2007/08/08 10:46:10
いずれ〝明日の太鼓打ちへ〟に書きますが、その中に
>姿の良い太鼓を打つ・・・格調の高い太鼓、見える形のことではなく、意識の問題。
>姿の良い太鼓を打つ・・・格調の高い太鼓、見える形のことではなく、意識の問題。
>『本人が苦しいくらいで、ちょうどいい』
>人に見せることで成り立つ表現者としての、
>強烈な自意識でもあり、また、自己犠牲の言葉。美しく見せるということの極意である。
という一節があります。
打ってない部分が曲によっては結構長かったりします。
その間、如何に待つのか?
如何に魅せるのか?
如何にそこに存在(居る)のか?
それがこの一節の中に集約されていると思います。
そして今日の中国新聞。
文教女子大付属高校和太鼓部がハンガリー国際芸術フェスティバルに日本代表として出場する、
という記事。
見させていただいたことはないのですが、この和太鼓部の噂は聞いていました。
『すごいよ』って。
この記事で何がすごいって写真の奥に写っている、
たぶん先輩達の稽古を見学している後輩たちであろう、その方たちの姿、姿勢。
正座をし、きちっと揃えられた桴。
こういう姿勢を取る意識が、この方達のbackgroundを作っていくんだと思います。
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