で、、、
『変奏組曲 緑と空間』
曲目と楽譜からイメージするたかっち的なもの、とは。
まず、、、
変奏組曲・・・では、ないわいな・・・と。
いくつか耳に残るテーマは出てきますが、それ自体は全然展開されてないような気がします。
各段落にそれぞれのテーマはあるけど、ただ繰り返されてるだけ・・・
そして、いくつかの曲が組み合わされてるかというと、
そうでもない気もします。
いくつかの段落には分かれてます。
アダージョの導入部分、アレグロの展開部分、3拍子、エンディング・・・
それぞれが独立した一つの曲かといわれれば、そうでもないなぁ、、、と。
なので変奏組曲、という部分は
『まぁ、なんとなく、そんな感じで聞いてくださいね。。。』位でええんでないか?
問題は〝緑〟と〝空間〟
緑=新緑、自然=喜び、息吹、生命。
空間=無、広がり、時間=摂理、真理、無限。
これらのことから・・・
人や自然、全てのものはある一定の法則によって生かされていて、
それに逆らおうとしても、抜けだすことはできなくて。
ある時はその法則に歓喜し、または悲哀し、、、
その全てを受け入れてくれる無限の存在がある。
逆に言えば私たちはその法則と、無限の存在のなかでこそ、
生きていけるのではないか?
そしてそれは無二の喜びであるのではないか?
法則とは・・・
自然を見ているとそれがよく解る。
時間や、季節のままに生きているから。
人はなぜかその法則に逆らおう、逆らおうとして生きている。
無限とは、その存在のイメージは・・・
雫の落ちた静まり返った湖であったり、
北極星の輝く北の夜空であったり、
また、
生命を育む土地であったり、、、
では、
それをどう太鼓で表現していくのか・・・
ドドーンド♪とドドッド♪
真ん中の音が8分なのか、16分+16分休符なのか・・・
打つのは同じ。
そこに音を感じるのかどうか。
法則とか、無限とか、
目に見えないじゃない?
目に見えないものを感じ、
感じたものをカタチにする為に、
自分たちには太鼓がある、、、よね?