「太鼓を打ちながら、頭の中に、何かが像を結ぶように集中してみる。
音の、ほんのささいな変化が、色づいたり、形になって見えるようになればしめたものです。」
太鼓はどうも勝ち負け、強い弱いの土俵で見られやすく、
そして確かにその側面もあるので、強くあってしかも音楽性の高い表現を培うこと。
強くて感受性の高い体と、感性を育てること。
練習のテーマを見つける。
今、この練習は何のためにやっているのかが分かっていれば、
苦しさや退屈さを凌ぎやすい。
とりあえずはその目的に辿りつくまでそれで続けてみる。
そうすると足場ができ、疑問も出てくるし、工夫も生まれる。
いろいろな音楽、地域の伝統芸能に直接、接して習得してみることも大事。
『つき動かす、何か』があるのならきっかけはいくらでもある。
今年一年、この言葉を何度も、何度も思い起こしながら稽古してきました。
特に、山の章のプロローグで打つ大太鼓のソロは、
意識しながら稽古し、本番にも臨みました。
ここで言う『苦しさ』とは・・・?
次郎丸太鼓はプロではないので、
いつでもやめたり、諦めたり、手を抜いたり・・・
というのが簡単にできてしまいます。
そういう気持ちが湧き上がってきたとき、
それでもなお、『やるんだ!』と奮い立たせなければならない・・・
それは、苦しい物です。
そして、それを支える『つき動かす、何か』。
たかが2~3分のソロを打つために何で自分はこんなに苦しむのか?
そうまでして打たなければいけない『何か』とはなんなのか?
で、、、
そんな思いをして打ったソロのできは・・・
自己採点で85点!!(あ、甘すぎ??)
今年何度かソロを打ちましたが、まぁまぁ見れるのは
最初のベスト電器のと、最後のクレドのもの。
最初ちょっと上手くいったもんでそこに〝気持ちのスキ〟
ができてしまってたんでしょうね。
そのスキを修正するのに苦しみました。
もう一度、
『太鼓を打たばければならない何か、、、』
を明確にしないといけません。