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シリーズ・・・あしたの太鼓打ちへ・・・その16
**********
「太鼓を打ちながら、声を出してみる。
ウッとかハッとか短い息を吐いてみたり、長くアーと出してもいい。
思いつくメロディーでも良い。その声に乗せて、
太鼓の調子が変化してくるのを感じながらやる。
あなただけの音楽になります。」
人間は本能が壊れた存在である。
例えばオオカミに育てられた人間の子供は、オオカミの行動を学習して、
オオカミとしてしか生きていけないようになり、
人間の社会に連れて来られると生きていくことができない。
オオカミになることができるのは人間ならではであり、他の動物ではそれは不可能で、
人は人の社会で学習してはじめて人の行動が取れるようになる。
人には、こうでなければならない、という行動本能が無い(壊れている)から、
逆になんにでもなれる・・・。
つまり、我々はなんにでもなれる奇跡を獲得したのです。
普段の自分とまったく違う存在になれるのは、芸能の最大の特徴です。
それを職業とする人は、なりきるための方法に腐心するのが常ですが、
それはさまざまな稽古を経て体得するものでもあります。
何かに変身するのも一種の自己暗示でそういう稽古の期間を経たことが自信につながり、
自己暗示を可能にするのだと思います。
自分の力を最大に引き出し、かつ、できないことまでを可能にする、、、
自己暗示の持つ力は人間にしかできない、一番大きい力なのかもしれません。
**********
伝えたいもの・・・
現したいもの・・・
LIVEまであと1年弱と言うこの時期、明確にしておかなければいけません。
それに向けて稽古して行く必要があるので。
ただなんとなく打っている、
ステージがあるからやっている、
ではLIVEのお客さんに満足していただけないと思います。
たまたま通りかかったイベント会場でやってた太鼓・・・
入場料払って聞きに、見に来た太鼓・・・
同じで良いわけないもんね。。。
より強いメッセージ性が必要だと思います。

大好きなアーティストのLIVEって、ワクワクドキドキしながら行くじゃろ?
そこまではないにしろ、お客さんはそういう気持ちと、
期待を持って来場されます。

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受け入れる『素直さ』
失敗を気づきの時とする『プラス発想』
知ろうとする『勉強心』

西条中学校の組曲『西條』をビデオで見る機会が何度かありました。
2004年度、そして今年。
どちらが良い、悪いということはなく、
それぞれ個性があって良いのでは。

さて、二つの『西條』を見て、改めて〝継承〟というものについて考えてます。
『伝統』というのは『継承』を積み重ねていってはじめてできあがるもの。
某小学校の先生にもちょこっと言ったんですが、
毎年毎年ジブンが来させてもらって一から十まで指導させてもらってたんでは、
この学校としての継承、伝統にはならんのではないのか?・・・と。
一度完成したらそれを生徒間、先生間で継承していくシステムを作らんといけません。
6~10月の4ヶ月(夏休み除く)でテクニックは伝えられても
なかなか意識、意思、精神なんてのは伝えられん・・・
ってか、それはジブンが伝えるもんじゃないと思うし。
組曲『西條』はそんなことまで考えとるんじゃなぁ・・・て。

では、我が次郎丸ではどうなのか?
30年、『継承』が上手く行っていればそろそろ『伝統』のかけらくらいできてそうなもんですが・・・
あるのかないのか・・・
(-_-;
前にも書きましたが打つこと自体、伝えていくのは楽譜がある限り割と簡単です。
楽譜では伝わらないことを『語り』『表し』し、『受け留め』『理解し』、繋げていく。

二つの『西條』を見て改めて『継承』の大切さと、
『素直』
『プラス発想』
『勉強心』
について考えています。

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シリーズ、あしたの太鼓打ちへ・・・その15
**********
「太鼓以外のものを何でもいいから叩いてみる。
ステンレスボウルとかごみバケツとか梯子や車の部品、なんでもいい。
響きや、余韻、音色、打つ強弱で変わる鳴り、音のいろんな色彩がわかる。
太鼓だけでは気がつかないことが解ります。」
色自体に、いい色、悪い色というのはなく、
どんな彩度や明度の色でも配分や形や分量、
質感で印象はずいぶん変わって見えます。
色自体に良い、悪いの責任は無い。
大胆に言えば、音もそうで、音楽に「雑音」というのもはない。
あるとすれば、好きか嫌いかでしょう。
どんな音楽にも、色感や表情があって、注意深く聞けばそれが見えてくる。
同じはずのレコードが、聞く場所や雰囲気で、
えっ、と思うような違う感じになるのはよくあることです。
我々が相手にしているものは、そういう、不確かで移ろいやすい、
だからこそ面白い表現なのです。
がむしゃらに打つ太鼓にも、十人十色があります。
骨格が異なり、体重が違えば、同じ力量でも太鼓の音は変わるのですから、
意識が変わればもっと違った音になり、音のトーンも変化する。
色彩が変わるのです。
そういうことが実際に理解できる経験は、なかなか少ないのですが、
あるイメージがあれば、ではそれを音にするとどうなるのか、
やってみる価値は充分に有ります。
世界的な打楽器ソリストとして注目を浴びたツトム・ヤマシタ氏が教えを受けた先生は、
今日は哀しみを表現しなさい、今日は怒りをやってみなさい、という指導をして、
技術的なことはあまり言わなかった、と聞きました。
そういう方法もあるのです。
試してみると、たとえ怒りも喜びもおんなじだね、と言われても、
自分の中では確実に何かが変わるのが解るはずです。
見えないけれど、内部で形や色になる、大変な進歩です。
**********
スローテンポな曲を取り入れていこうと思います。
これまでよりも更に一つの〝ドン〟に対して
いろんな想い、イメージ、感情を注いでいかなくてはいけない、
と思います。
あおちゃんに、
『ここの鉦は優しく、こんな感じで打ってね・・・』って話しました。
こんな感じ・・・とうのはもう、ほんと、
言葉では表現できないのです。
思いを感じ取ってもらって、自分なりの表現を加えたら、
それを音にしてみる。
曲の〝感じ〟に合えばOK!
合っていなければもう一度かみ砕いてみる。
そして試してみる。
この試行錯誤が今まで打ってきた曲にも生きてくると思います。

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関東の太鼓チームの方が書かれた本を読み返してみました。
***********
「太鼓を打つにはテクニックが必要。でも絶対にテクニックじゃない。」
これは師匠が繰返し私たちに伝えてくれた言葉です。
人は技術的に上手い太鼓だからといって、感動するわけじゃない。
人に伝わる音というものはテクニックで出せるものじゃない。
「手が動くようになって、いろいろなことが打てるようになって、
テクニックがついてきても、いつでもまっさらな丸裸の自分で、
無心でぶつかっていかないと、伝わる音は出せないよ。」

音というのは結局のところ、その人が『生きてきた分』の音色が出る。
ひとつの曲を打つということは、自分の優しさ、気の強さ、明るさ、暗い部分、
どうしようもなく弱いところ、底力、ひょうきんさ、真剣さ・・・
あらゆる面を表現していくことです。
生きていればさまざまな経験をし、そこで色々な思いを味わって、
その分人間としての幅が広がっていきます。
太鼓を打つとき、
ただ表面的に音に強弱をつけたり、音色を使い分けるのではなく、
自分の内側に積み重ねてきた、そういう様々な面を引き出していく。
内面から変化していくと、それが音の味や彩となってきます。
その人それぞれ、その時で、打っていてふと引き出されてくる面は様々です。
だから同じことを同じように打っても、一人ひとりから生まれてくるものが違うし、
同じ人が打っても、日々生きている分打つたびに違うのです。
それが、音色の個性になるとすれば、
太鼓を打つときにどれだけ自分に正直になれるか、
丸裸になれるかなのでしょう。
**********
技術的に打てるようになったから・・・
と満足するのではなく、更にその上を目指そうとするならば、
その道標は自分の内面に求めるしかないのでは?
ただ、
自分が楽しく打てればいいだけの太鼓なのか、
人に何かを伝えたい太鼓なのか。

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シリーズ、あしたの太鼓打ちへ・・・その十四
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「たった一つの太鼓だけで、どんなことができるのか、をやってみる。
そこに行き着くまでの試行錯誤でやったあらゆることを、
一つの太鼓の中に生かしてみる。
シンプルがいかにたくさんの要素でできあがるのかがわかれば、立派。」
 姿の良い太鼓を打つ・・・
格調の高い太鼓、見える形のことではなく、意識の問題。
 『本人が苦しいくらいで、ちょうどいい』
人に見せることで成り立つ表現者としての、強烈な自意識でもあり、
また、自己犠牲の言葉。
美しく見せるということの極意である。
 奇をねらった表現より簡素な表現のほうがずっと良いからといって、
初めから何もしないでいることは、簡素な表現さえ身に付かない・・・
無作為に見えることが、ただの無作為ではなく、
あらゆる経験や工夫を経た後の、巧まざる表現になってはじめて、
生きた物になる。
 観阿弥、世阿弥の猿楽の時代から歌舞伎の担い手まで、
この国で表現を職業とする者は常に『どう見せるか』ということと戦い続けてきた。
それは『みられてなんぼ』と言うこと。
太鼓は視覚的要素の多い‘音楽’なので、
見られることを過剰に意識しすぎる必要はないにしても、
良い音を出すにふさわしい、適った動きがあるはず。
それを意識できれば、無駄な動きや無駄な力も抜けるはず。
その状態が‘姿の良い太鼓’である。
**********
次郎丸太鼓は〝プロ〟ではありません。
30分やっていくら!という基本料金なのども決まっているわけではありません。
ただ、
やはり謝礼としていくらかいただくことは多ございます。
何を表現しようと、
どう伝えようと、
お金をいただくからにはそれに見合ったパフォーマンスをすることを、
個々が意識しなくてはいけない。
(もちろんいただくなくてもやるからには一緒です。)
『次郎丸太鼓』という〝楽曲〟をどう魅せるのか?
そして、
与えられた時間をどう見せるのか?

継承していくために守っていかなければいけないこと。
継承していくために変えていかなければいけないこと。

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シリーズ、あしたの太鼓打ちへ・・・その十三
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「太鼓の皮面は、場所によってさまざまな音を出します。
真ん中と周辺の音の違いを注意深く聞き分けて、打ってみること。
音にいろんなニュアンスがあるのを聞き取れるまで。」
 人間の鼓膜が捕とらえる可聴音域は20Hzから20KHzとされていますが
太鼓の場合は実際に聞こえない低域の音も振動として感じています。
CDは22・05KHz以上の音域を、人間に聞こえないからという理由と技術的な理由でカットしていますが、
最近の研究ではその聞こえないはずの高周波を含んだ音を訓練を受けていない普通の人が
実は聞き分けているということもわかりました。
耳は我々の、想像以上の機能を持っているのでしょう。
**********
何を隠そう、たかっちさんはラジオ音響技能検定4級、という資格を持っています。
なんじゃそりゃ?
・・・なんでしょう?(^。^;)
音響芸術科という専門学校に行っておりました。
かれこれ24年位前ですが・・・
ちょうどその頃、CDが出初めで普通の音楽CDが五千円前後してたんではないでしょうか?
当時、クラシックなどでレコードとCDの違いを聞き比べしました。
弦楽器、管楽器、打楽器・・・
それぞれがこのCDではカットされている音域のいわゆる〝ノイズ〟といわれている音を含んでいて、
直感的に
『きれいすぎる!』と思ったのを覚えています。
〝The martial arts of  noise〟
雑音の格闘技、とでも訳すのでしょうか?
TAOのDVDタイトルです。

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『意識しなさい』と何度も言ってます。
意識とはなんぞや?
調べた人いますか?
三省堂によりますと・・・

物事に気づくこと。また、その心。感知。知覚。
はっきりした自律的な心の働きがあること。自覚。覚醒。見当識。
状況・問題のありようなどを自らはっきり知っていること。
思考・感覚・感情・意志などを含む広く精神的・心的なものの総体。特に対象を認識する心の働き。
主観。物質・存在・世界・自然など、客観的なものに対する。
現象学では世界を構成する超越論的自我の働き、また唯物論では存在に拘束される観念一般を意識と呼ぶ。
単なる直接的な情意作用や知覚ではなく、自他の在り方自身を察知する明瞭で反省的な心の状態。また、その作用・内容など。自己自身を対象化する対自的・反省的働き、人格あるいは自我による統一・自律、一定水準の明晰(めいせき)さなどによって規定される。自己意識。
六識の一。感覚器官による眼・耳・鼻・舌・身の五識に対し、心の働き、精神の働きのこと。第六識。

・・・漢字ばっか、、、(-_-;
まぁ、平たく言えば、
思うか、思わないか・・・
感じるか、感じないか・・・
向き合うのか、知らん振りするのか・・・
ってことだと思います。

昨年夏のステージのビデオを見るといろんな面で
『上手くなったなぁ、、、』と思います。

思えば、
感じれば、
向き合えば、
できるはず。

できることができないのは、
ほんとにできないことよりも、
恥ずべきこと。

言い換えれば・・・

思うだけでいい、
感じるだけでいい、
ちゃんと向き合えばいい、

ただ、それだけのこと。

たかっちnoteに
『自分の意識がはっきりするまで繰り返し稽古する。
 それにより内面が変わっていく。
 繰り返し突き詰めたぶんだけ余裕が身に付いて自然体になれる』
というkeywordがあります。
5~6年前にユ○クロのチラシに出ていたバレリーナさんの言葉。

たかっちスタイルを形成するwordBest3!にランキングする言葉です。

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シリーズ あしたの太鼓打ちへ その11と12
**********
その十一
「使っていない部分の体に気を配る。
右手を使っている時は、左手を。
腕を使っている時は、足を。
音に集中している時は全身を。
全部のバランスが取れて、初めて、いい演奏になります。」
**********
2尺の桶胴を2曲続けて打っているとき、
今までめちゃくちゃ辛かった腕がふっと楽になるときがあります。
そういう時は腕以外の、身体のどこか別の場所に意識が行っています。
というと聞こえがいいのですが、
『こ、腰がいたい、、、』とか、
『汗が目に入ってしみるぅ、、、』とか・・・
(^_^;)
意識をして、使ってない場所に気を配れるようにならんと、ね。
***********
その十二
「皮も木も生き物です。邪険に扱わないように。
汚れてへこんだバチもゆっくり湯につけて洗えば、蘇ります。
木の不思議です。」
 『自然はいっぱいいて、たった一人のぼくを見ている。』
 何かにつき動かされて、太鼓を打ち続ける、
そのきっかけになったのは鼓動の認識。
自分にはここまで続いてきた命の営みがあり、
それが支えてくれているのではないかという認識。
小さな虫いっぴきをつぶすのは簡単だが、
巨万の富を使い、どんな才能を注ぎ込んでも、この虫いっぴきを作れない。
命が、また新たな命を生み出す連鎖も作れない。
「生命」というものが、一体何を企んでいるのか、
その正体はとうていわかりませんが、
太鼓の音はその正体の一番近いところで、我々に「命の本音」について、
語りかけているのかもしれません。
***********
心音、拍動のことを何故〝鼓動〟いうんかね?
やっぱり、似とるけん・・・かね?
このことについては以前、天野先生から興味深いお話をしていただきました。
またいつかお話できることもあろうかと思います。
まぁそれはさておき、、、
折れた桴がなかなか捨てられず、なんかに使えんかなぁ、、、と思い、
とりあえず彫刻刀でなんか彫ってみよっ!ってやったことあるんじゃけど、
結局なんにもならず・・・
次郎丸桴供養~~!とかって、
飲む口実にしかならんか?(^_^;)

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シリーズ あしたの太鼓打ちへ、、、その十
「ボルト締めの太鼓が普及していますが、機会を作ってヒモ(調べ緒)締めのやり方も体得するように。
各地でそれぞれ違うやり方がありますが、『結び』も日本の文化遺産です。」
 初舞台が一番良い演奏になることがよくある。
太鼓の感動というのは、技術の上手さではなく、切実な気持が与える感動。
初舞台の演奏が感動を生むのは、
未熟な腕をメンバー全員の熱意が押し切るような形で聞いている人に伝わるから。
**********
結(musubi)、、、
という題目の曲を作りたい!ともう何年も前から思っています。
構想だけはふくらんでいるのですが、なかなか手が付けられないでいます。
>『結び』も日本の文化遺産
結び、の語源については、先日のお花見総会2次会であっつ~く語りましたので、
約3名様には伝わったと思いますが・・・
(^_^ゞ
おむすび(ご飯を握ったやつ)をなんで〝お結び〟っていうのか、
考えたことありますか?
〝おにぎり〟ならわかるよね?
でも、〝おむすび〟って言うじゃん?
まぁ、このお話は次回こまい声の会で・・・
今回の〝明日の太鼓打ちへ、、、〟で感じて欲しいのは、
「感動は技術の上手さではない」ということ。
FFでギャラリーの気持ちを引っ張ることができたのは、
打ち手の〝気持ち〟だと思います。
あの雰囲気の中で、なんとかたくさんの人に自分たちの〝太鼓〟を伝えたい!
ってみんなが思ったことが、
技術を上回った・・・ような気がします。

ps・・・
シリーズ、明日の太鼓打ちへ、、、を
なるべく早く伝えたいと思います。
解る人には解ると思いますがE・H氏の著書から抜粋しています。
時間が・・・
無いんです。

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シリーズ、あしたの太鼓打ちへ・・・その九
「太鼓の‘太’の字は、聖徳太子などの‘太’。-尊い、高貴な、という意味で、
‘鼓’は鼓舞煽動などの‘鼓’―励ます、奮い立たせる、という意味だと解説してもらったことがあります。
この言葉は、太鼓に携わる者への、応援歌なのだと思います。」
 大太鼓の正面に構えて、腰を入れ、大きく反り返って、
バチに体重を乗せて打ち込むスタイルは、腰や背中に負担がかかる。
その負担を最小限に食い止めるためには足腰を強く補強し、
リズムに乗せ続ける柔軟な動きが必要。
強靭に弾む足を、言わば、殺して使っているので、
止まって見えてもその足の中ではしっかりと大地のリズムがいきいきと脈打っていなければ、
動きも、バチのリズムも死んでしまう。
 手本というものは、その見える部分をなぞっている限りは、それを乗り越えることはできない。
その手本の原点を探って参考にし、結果が独自の表現になることが良い。
***********

大太鼓に向き合う時、
いろんな感情が生まれて来るんよね。
『やったるでぇ!』
『負けるもんかぁ!』
『頼んまっせ!』・・・etc.
もちろん、桴も太くて長い物を使うんで、
腕だけで振っていたのでは音も出んし、
長くも打てんし。
足の裏、ふくらはぎ、太股、背筋・・・
いろんなところを意識しながら打たんとね。
太くて低い音を、遠くまで届けようとしたら、
そうなってきました。

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[11/27 たかっぽ。]
HN:
たかっち。
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/07/14
職業:
パーマ屋さん。
趣味:
夜run(謎)
自己紹介:
カットが出来る、太鼓打ち!!